震災の記憶2 つれづれ日記

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震災の記憶2

 2011年1月17日 6,434人が亡くなった阪神大震災から、今日でまる16年を迎えた。

 被災地の復興は順調に進んできたかに見えるが、確実に地域の繋がりが薄れ、高齢者を中心とした様々な問題が多く発生しているのも事実である。



我が家の震災 PART-2
 やっとの思いで妻の実家に辿り着いたのは、震災の翌日の夜中(正確には日付が変わり翌々日)。

 翌朝一番に掛かりつけの病院に向かう。事前に電話をしてもらっていたので、病院に着くなりすぐに診察を受けることができた。この日は、病院の対応と診察結果に心から感謝した1日であった。あまりの嬉しさのため、その後のことはあまりよく覚えていない。震災直後から常に頭の隅にあった「流産」という言葉が少し薄らいだ瞬間でもあった。その後、病院の近くで今後のために、水とカセットボンベを買った記憶がある。この時、大阪ではどこでも売っている水とカセットボンベは貴重品であった。事情を説明して店にある全てを買占めさせてもらったが、この水とカセットボンベは、意外なことに翌日から役立つこととなった。

 その夜、寛いでいるところに神戸に居る母から電話があり、私の自宅マンション付近が火事であるとのこと。早速、テレビを付けてみるとそのニュースが映し出されている。画像を確認するも暗くてよく分からないが、位置的には合致しており、炎に照らされた建物の躯体や壁の色はかなり似ている。その時点では確認するすべもなく、翌朝、再び神戸に向かうこととなる。

 ニュースによると地震直後よりも救援物資運搬車両等により渋滞がひどくなっている。取り敢えず、2号線を通って神戸に向かうこととする。通常ならば阪神高速・東大阪線、神戸線を乗り継いで1時間弱の距離であるが、今回ばかりは時間が読めない。大阪を出るまではスムーズに流れていたが、尼崎付近から急に渋滞が始まり前に進まなくなる。迂回するにも選択肢が限られ、今のようにカーナビがないためひたすら2号線をノロノロ運転することになった。
 車中から見える風景は驚きの連続で、武庫川を渡ると被害の大きさに圧倒されることになる。この付近あたりからは、川を越える度に倒壊している家屋が増えているように思えた。芦屋川辺りまでは3時間程度掛かり、そこから通常5分程の距離を1時間程掛けてようやく自宅付近に接近した。
 2号線から微かにマンションが見えるはずの場所に着き、車窓の端にぽつんと建つ自宅マンションが見えた時、迂闊にも涙が溢れ出てきた。

 やっとのことでマンション前に着いて、すこし様子を伺うも入居者は全て避難しているらしく誰もいなかった。見た目の損傷は他のマンションよりも少ないように思えた。
 1階に置いてあった自転車は、誰かが乗って行ったらしくなくなっていたが、何故か腹も立たなかった。ほとんどの家財を一瞬に失った訳だが、自転車は必要としている人が使ってくれたら良いと気にも留めなかった。その後、実家に寄って水とガスボンベを下ろし、再び大阪に向かうこととなった。

 しばらくは妻の実家に居候することになるが、いったい何時までかが予想もできない。それから毎週末、片付けと必要なものを取りに神戸に向かうが、滞在時間は3時間程度。まだまだ寒いうえにトイレがないのは致命的、我慢できずにビールやワインで流すこともしばしば・・。

 新聞のライフラインの復旧率が上がるを毎日楽しみにしていましたが、復旧率が99%以上になっても我が家周辺は復旧しないまま、このような生活が4月まで続きました。

つづく

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